製作2000.4.28.更新2005.5.9.
ヨーロッパとインド地方との交流と言えば胡椒を代表とした香辛料が有名なところです。そのルートは大航海時代が訪れるまでの長い間、中東アジアをぬける形の陸づたいルートがほとんどであったはずです。
やはりチャトランガもそのルートに沿う形で、時代を追うごとにヨーロッパへと形を変え、名を変えて伝わっていったようです。 6世紀中頃のイラン(当時はサーサーン朝ペルシア)には「シャトゥランジ」と呼ばれる2人制のゲームが伝わっていたそうで、その後、8世紀頃にはそのペルシアを滅ぼしたイスラム勢力によってアラビア、そこからヨーロッパ地方に伝わっていったと考えられています。
現在でこそ、チェスがヨーロッパ将棋の代名詞的な存在ですが、当時は国々によって様々なルール、名称で遊ばれていたそうです。その中でも比較的古い時代からプレイされてきたゲームを簡単に紹介します。
・ロシア…クレポストノーイ・シャハマトゥ(ロシアの古い4人制チェス)
・ヨーロッパ…エンラージド・アンド・インプルーブド・チェス(17世紀の10×10マスのチェス)
・ドイツ…クーリエ・シュピール/プロイシシェ・シャッハ/ベルシェン−シャッハ
・フランス…ジュ・ド・ラ・ゲーレ/ラ・ビクトーレ/シーガ・ダンベルス
・イタリア…スカッキ・ディ・カレッラ/ジオコ・ディ・シコリーニ
・スペイン…エスパニョーラ・アへドレス/グランド・アヘドレス
など…
世界史は苦手なのでこれくらいにして…。
ところで、現在のチェスですが、このチェスが公式にルール化されたのはいつ頃だと思いますか?
以外に時代は浅くて、19世紀後半に制定されたのだそうです。10世紀頃からヨーロッパでほぼ確実に遊ばれるようになってから900年間の間に、駒の働きや特殊なルールなど、やはり時代に合わせるような形で変化していったとされています。実際に、中世のルールでは、キングは最初の一歩のみ他の強力な駒と同じ動きが許されていたそうで、15世紀になって現在のキングの動きになったとされています。
それと余談なのですが、私自身で確認を取ってはいないのですが、現在日本の中将棋が海を越えてイギリスのボードゲーム愛好家の間で大変流行しているということをどこかのホームページで読んだ事がありました。 本家日本ではいまや消滅寸前の中将棋が全く別の国で流行っていると言うのは何とも皮肉な話です。
確かに、ルールとしてはチェス同様の取り捨てルールですので、チェスを愛好している人たちなら抵抗なく受け入れる事が出来るでしょうし、チェス以上に多彩で伝説的な名前の駒である事と、一回り大型であるこのゲームがうけているのは納得できる話です。 いつか、イギリス対日本の中将棋対決が行われると面白いですね。
このルートは、つまるところ日本への伝来ルートと言う事でもあります。
具体的には2つのルートが考えられており、一つはシルクロードを通じての中国、朝鮮半島へのルート、もう一つは東南アジアを海岸線沿いに伝わっていくルートです。
シルクロードルートと、東南アジアルートとの大きな違いは、駒が文字表現されたかどうかに尽きるようです。シルクロードから中国大陸へ伝わった際に、それまでのチェス的な形の駒から、漢字による駒の表現へと大きく変化しました。実際に、将棋ゲームの中でも文字を使った駒は日本・中国・朝鮮の将棋だけなのだそうです。
一方、東南アジアルートに関しては、あまり大きな変化が起こることなく、チャトランガに良く似た形の将棋がそれぞれ現在に伝わっているそうです。
やはり、古代4大文明の中でも中国の漢字文化というものは、ほかの文化圏とは大きく趣を異にするものだったのだろうと思います。漢字一文字ごとにそれぞれの意味を持たせたものであることが、アルファベットなどの表音文字では雰囲気が出ない駒になってしまうのに対して、非常に大きな要素だと思います。
なお、中国の将棋図を最後に紹介します。
中国象棋については、スノードルフィンさんが詳しく解説されています。
『Snowdolphin's Lodge』です。興味のある方はぜひどうぞ。
見た限り、囲碁発祥の国だけあって駒がマス目ではなくて、ライン上に置く形になっています。それと河界は、名前のとおり河です。なので駒によっては通行できないそうです。なにか軍人将棋にもこんな中立地帯があったように思いますね。
日本へ将棋が伝わる事に関しては次節で解説しますが、どうも個人的見解で言うとあまり共通性が見つからない、特殊な盤面を使った将棋に思いました。